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炭焼きの話

田村孝幸さんの炭焼きのお話を伺いました。
                           
最初に炭を焼き初めたのは15の時だったね。親父もやってたから。それから10年ぐらい焼いてたね。戦争中もずっと焼いてて……。パルプとか薪とか、文化薪もやったね。そのころは、カラマツじゃなくて雑木だった。戦後35,36年まで、炭焼きっきりだったが……。

現金屋(川上にある燃料屋さん)は50人も職人を使っていた。秋山の川上庸夫さんの家も人夫を30~40人も使っていた。俺が15のころ4貫500斤の炭俵が50円でいい金になった。土方で1日働いても250円だったからね。
5日に1回位17~18俵白炭で出してた。若いもんだから、遊びにも行きたいし、欲もねえ。俺がやめるころには、だんだん景気もよくなってきて、1俵120円ぐらいにはなっていたな。まだ、25にならねえ頃だ。
人夫は、他所からもうんと来てただよ。他所の県から、木伐りとか、薪伐りとか、炭だけじゃなくて、川上は凄かっただよ。

炭は全部売るために焼いた。生活がかかっていたからね。「火(日?)釜」っていうのは、人によってそれぞれ違ったが、横1メートル、奥行き2メートル位で、今日入れたら明日出して、火を止めないで、すぐまた入れた。あまりいい炭じゃないが、腕のいい奴は、1釜で3俵位出した。大きい釜になると1日、あいだを置いて出した。2日釜に入れておいて出すこともあった。大体10俵から15俵だったが俺は18俵焼いたこともある。中で酒盛りが出来るくらいの大きさだった。

なんぼ大きくても、こせえ方は同じだ。積み方も同じだ。積む石は、熱かけても割れねえ石を選んでくる。御影石が一番だめだね。八ヶ岳の火山岩みたいなのが一番強い。桟俵(サンダワラ)を背中に石をしょったね。釜作る所も山のひら(斜面)に掘って、鶴嘴(ツルハシ)とか鋤簾(ジョレン)とか畚(モッコ)を使って作った。釜っちゅうのは一番卵型がいいね。場所移動するときは、そのまま置いといて新しく作った。煙突(=クド)は石組んで作るんですがね。

炭には、ボヤ炭、黒炭、白炭、ガスタン炭っていう種類があったね。ガスタン炭っちゅうのは、木炭車に使う炭で、炭にガス入れなきゃだめだからむずかしかった。
白炭と同じに焼いて、赤くした時に「クド」から水を注ぎ込んでやる。自分の勘でやるだけど、それでピシャっと塞いでしまう。中で水が水蒸気になって、炭がみんなそのガスを吸うだね。営林署あたりで「ガス炭を焼け」と割り当てがきた。
国でやらしただね。木は松でなきゃだめだった。
黒炭っていうのは、釜戸を土で作る。型をこさえといて、ついたり、叩いたりして空気を入れないように作る。白炭は全部石で作る。石と石の間は土を使うがね。 

釜の火がどういうふうに点くっていえば、入り口に火を点けると火は天井へ上がって、「クド」へ下がっていく。熱を持ってくると木は頭から火が点いて、だんだん下がってくれる。早く言えば蒸れるんだね。火の点き方はどんな条件でも同じだね。手前に太い木を入れると口元に火を点けても太いから燃え付かねえで、火は天井へ上がっていく。「背中あぶり」っていうだけどね。
白炭と黒炭の違いは、焼き方は同じだけど消し方が違う.黒炭は中で消して冷ましてから出す。白炭は赤いのを出して土をかけて消す。黒土の方がじき灰になるね。
ケブ出しの穴を大きくしとくと焼けるのが早いが、穴を小さくして日にちをかけて焼いた炭の方がいい炭だね。
釜戸は火が点いたか点かないか見分けるのが難しい。甘ったるい臭いがして、ケブがのさないと火が点いていない。ケブが辛くなって、ケブがのびると点いているね。
火の点き方は木の種類とかは関係ないが、炭はナラの木が一番いい。火持ちがいいから、値段もいい。炭焼きっつうのは風が悪いだよね。クドから風が吹っ込むとだめだよね。

釜を作る場所は、木を寄せるにいいところを考えて作る。水は一斗缶とか樽でしょい上げた。焼けた炭は全部背中にしょって「カチ荷」って、帰るときは2俵とか3俵とかしょって帰った。

生活は、朝弁当持って行くこともあったが、小屋をかけてあって泊まってた。
トタンがあった程度だから、木の皮を剥いで、のして重しをかけて平らにして壁にしたりした。1年でも5年でも通年で季節を問わずそこにいたね。川又の相木側に大神楽沢っていう大きな沢があって、そこには一窯に3年いたね。着るものは盆だ正月だっていえば、今はジャンパーくれるのが、昔は法被だったから、名入れの法被着てた。その法被着てりゃ中込(佐久市)あたりへ行っても羽振りが良かったね。

今、炭焼いてる人は川上にはいないね。相木にはいたけどやめたってね。
炭焼きっつうのは体力がいるだよ。夏、あれを出せば汗びっしょりで、普通の人は側に寄れないよ。炭を焼くときは、一釜一釜、今度はどんな炭が出るか楽しみだね。昔は品評会にも出して、賞状もあるだよ。

釜の温度は測ったことがないだよ。火が点いたのも、焼けたのもみんなケブで見分けなくっちゃならないね。遠くにいても分かるだよ。焼けちゃったなって…。
炭焼きってのは難しいよ。いい炭焼くのは本当、難しいよ。でも、何年たっても、いつでも新米でいなけりゃだめだよ。俺は今だって、まだ一人前だとは思わないよ。 

(話を伺って
炭のことを、林業のことを、熱っぽく語ってくれた田村さんでした。今、居倉バイパスの木を伐っていて、車は通るし、電線や電話線、光ファイバーがそばを通っていて、それを切りでもしたら仕事しないほうがましだ、と言われて、眠れないほどのプレッシャーだったということでした。すばらしい技術と経験でいい仕事をしても、いつも新米でまだ一人前ではないと思って仕事をする田村さんの生き方には、頭が下がります。

炭釜について補足
炭釜の「かま」という文字にはいろいろな著し方があるそうです。他に窯、竈等がありますが、今回は「釜」でタイプしてました。なお、田村さんが当時作った炭釜は、現在でも山に残っており、いつか秋山沢あたりに皆さんとその跡をたずねるのもよいかもしれません。

1999年1月9日 ところ:森の交流館ラーチサロン